酒匂隆雄の畢生の遊楽三昧 sakoh

早いもので,一年。

2026/07/08

胆道癌ステージ4.の18時間にも及ぶ大手術を受けて、丁度一年が経った。

去年の今頃は,手術が終わって、時計と機械しか無い殺風景なHCU.(高度治療室)で、独りで心細い思いをしていた事を思い出す。

寝返りも打てず、天井を見ながら、術後の痛みに耐えていた。

背中から痛み止めのモルヒネが四六時中注入されていたので,激痛は感じないが、矢張り痛い。

痛みが酷いと、手元に有るスィッチを押すと、ピュッと余分のモルヒネが注入されて痛みは収まるが、気持ち悪くなるので、痛みを取るか、不快感を取るかの選択になり、筆者は痛みを取って1週間HCU.に入る間に1度しかモルヒネ注入はしなかった。

兎に角、1週間天井を眺めているしかなかったので、色々考えていた。

生い立ちの振り返り。

術後の経過が思わしくなくて、万一の場合。

ワインの処理。(本当である。)

結構、面白かった。

考えていると,午後3時くらいになると,看護師さんが起こしに来て,最初は10メートル、次は20メートルと歩く練習をさせられる。

辛かった。

HCU.を出た後個室に移り、丁度2ヶ月過ごしたが、此れも辛かった。

抗癌剤の副作用で味覚障害を起こし、何も食べられないのだ。

8時、12時、18時の食事時間が来ると、憂鬱だった。

入院期間中の2ヶ月間、殆ど食事は取らず(取れず)、点滴で直接栄養剤を小腸に入れて貰い、生き永らえた。

先生から、”食べないと体重が増えませんよ。(手術で丁度10キロ痩せた。)体重が増えないと、退院出来ませんよ。”と散々脅かされたが、食べられないものは食べられない。

2-3日に1回、栄養管理士さんが来て、様々な補助食品を試してくれたが、これがまた恐ろしく不味くて、食べられなかった。

入院中は何もする事も無く日がな一日テレビを見ていたが、飽きはしなかった。

此方でも毎日15時くらいになると、名称は忘れたが、リハビリを手伝ってくれる係の方が来て、最初は20メートル、次は50メートル、そして100メートル、最後の方は病院の庭一周(300メートルくらい?)の歩行練習をしたが、これもきつかった。

直ぐに息が上がってしまうのだ。

歯を磨く時も、ベッドから起きるのに5分、3メートル先の洗面台まで辿り着くのに5分、歯を磨くのに5分、そしてベッドに帰るのに5分、寝転がるのに5分と凡そ30分も掛かる始末だった。

手術から凡そ2ヶ月半後に無事に帰宅したが、その後も自宅で数ヶ月に渡って右腹に開いた四つの穴から取り出して四つのプラスチックの缶に溜めた胆汁を濾過し、今度はそれを左腹に開いた穴から小腸に入れると言う作業を続けた。

寝ている間もこの四つのプラスチックの缶をぶら下げており、寝返りもままならなかった。

余談だが、10月に富山に行く用事が出来て先生に相談したら、”富山は良いですねえ。酒も魚も米も美味い。少しならお酒を飲んでも良いですよ。”とのお墨付きを頂き、ついでに四つのプラスチックの缶を二つに減らして貰って、二個だけぶら下げて出掛けた。

今から考えたら、まあ無茶をしたもんだ。

何だかんだで手術から1年が経ったが、お陰様で術後の経過は極めて順調で、先生も家族を含めた周りの方々も驚いている。

自分でも驚いている….

高齢者の胆道癌ステージ4.は生存確率が極めて低いらしい。

お陰様で、優れた抗癌剤と大変優秀な先生に恵まれて命を長らえる事が出来たが、この幸運を無駄にしないで生きて行こう。

(まあ、要するに今迄同様に好き放題に生きて行こう,と言う意味である。

皆様方,引き続き仲良くお願い致します。

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プロフィール

さこう・たかお
酒匂隆雄

酒匂・エフエックス・アドバイザリー代表
1970年に北海道大学を卒業後、国内外の主要銀行で為替ディーラーとして外国為替業務に従事。
その後1992年に、スイス・ユニオン銀行東京支店にファースト・バイス・プレジデントとして入行。
さらに1998年には、スイス銀行との合併に伴いUBS銀行となった同行の外国為替部長、東京支店長と歴任。
現在は、酒匂・エフエックス・アドバイザリーの代表、日本フォレックスクラブの名誉会員。
YouTubeチャンネル「酒匂塾長チャンネル」開設。

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