酒匂隆雄の畢生の遊楽三昧 sakoh

痛ましい事故。

2020/08/11

凡そ10日前の2日(日)の朝早く、筆者もしょっちゅう通る首都高湾岸線の下り東扇島近くでポルシェが老夫婦の乗る車に追突し、その老夫婦がお亡くなりになると言う痛ましい事故が起きた。

ポルシェにも色々有って、この事故を起こした車は911 GT2 RS.と言ってポルシェ車の中でも最も高性能な車である。

新車価格は3650万円で700馬力を誇り、止まっている状態から時速100キロに達するのに(所謂0~100km)2.8秒しか掛からず、最高速は340キロに達するモンスター・マシンである。

事故の瞬間を映したトラックからのドライブ・レコーダーの画像を見たが、コマの数から逆算してポルシェは凡そ250キロは出していたと思われる。

ポルシェのドライバーが警察の取り調べに対して”100キロは超えていました。ちょっと出し過ぎちゃった。”と悪びれずに答えたと聞くが、嘘だ!

老夫婦の車が法定速度の80キロで走っていたとすると250-80=170で、止まっている車に時速170キロでぶつかったことになる。

最近の車は前や横の何かにぶつかるとエアバッグが開いてドライバーを守ってくれるが、後ろから猛スピードで追突されたんじゃあ、ひとたまりもあるまい。

画像を見ると中央車線を走っていたトラックがどういう訳か追い越し車線に移った途端にポルシェが中央車線で追突しているが、恐らくこうだったのだろう。

1番左の車線に80キロでタンクローリーが走っていた。

少し前の真ん中の車線に老夫婦の車が同じく80キロで走っていた。

ドライブ・レコーダーを搭載したトラックが同じく真ん中の車線を走っていたのだが、法定速度よりも多少早い90~100キロで走っていて老夫婦の車を追い越す為にゆっくりと一番右の追い越し車線に移行した。

後ろからポルシェが凡そ250キロで追い越し車線を走ってきており、トラックが自分が走っている走行車線に移行したのを見て咄嗟に左にステアリングを切り、真ん中の車線で左から追い越そうとしてそのまま老夫婦の車に追突した。

この間恐らく2秒くらいしか経っていなく、ポルシェのドライバーはブレーキを踏む余裕など無かったであろう。

2秒間と言うと時速250キロで走っていると、250キロ(250,000メートル)÷60分÷60秒×2秒=138メートル走る計算になる。

あっと気付いた時には100メートル以上走っている訳でアクセルからブレーキに踏み変える間も無かったろう。

筆者は昔A級ライセンスを取得していてよくサーキットに出掛けたが、目的は如何に咄嗟に事故を防ぐドライビング・テクニックを上達するかであった。

どうやってスピンを防ぐか?

スピンしだしたらどうやって車を制御するか?

などを学ぶ。

それで2度も命を救われたことがある。

2度とも車の横っ腹にぶつけられて避けようが無かった。

東名での事故の折は高速機動隊のお巡りさんから”よくあの状態から車を止めることが出来ましたね。”と褒められた。

また時間が有れば何かの折にでもその顛末をご紹介するが、何と咄嗟に”ブレーキを踏むとスピンして死ぬ!”と思ってステアリング操作だけで車を止めたのだ。

それらの経験が有るから今でも常に”あの車はどう動くか?”とか、”あの車は咄嗟にこちらのレーンに移行して来ないだろうな?”と警戒しながら運転している。

サーキットでの運転経験が無く、この様な警戒をしないで運転するドライバーは911GT2 RS.の様なモンスター・マシンに乗るべきではないと思うのだが..

(筆者は7~8年前までドイツのニュルブリンク・サーキットに行ってBMW.のM3.を駆って腕を磨いていたが、一度死にそうな目に遭って止めた。スポーツカーも手放した。)

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プロフィール

さこう・たかお
酒匂隆雄

酒匂・エフエックス・アドバイザリー代表
1970年に北海道大学を卒業後、国内外の主要銀行で為替ディーラーとして外国為替業務に従事。
その後1992年に、スイス・ユニオン銀行東京支店にファースト・バイス・プレジデントとして入行。
さらに1998年には、スイス銀行との合併に伴いUBS銀行となった同行の外国為替部長、東京支店長と歴任。
現在は、酒匂・エフエックス・アドバイザリーの代表、日本フォレックスクラブの名誉会員。

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