酒匂隆雄の畢生の遊楽三昧 sakoh

備忘録。

2025/12/31

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2025年も大晦日となった。

今年は兎に角,癌に始まり(本当は2024年10月からだった。),癌に終わった(実は未だ抗癌剤を服用しており、終わってはいない。)感が有るが、忘れない為に備忘録を書いておく事にした。

(世間では忘備録が一般だが、本当は備忘録が正しい。)

2024年10月15日。

2週間の台北滞在を終えて帰る前日、馴染みのフカヒレ屋に行ってドンブリ一杯のフカヒレを食べていたのだが、美味しくない。

珍しく残した。

持ち込んだ、結構良い紹興酒を飲んだが、此れも美味しくない。

珍しく残した。

カミさんが、”顔、目、手が黄色いよ。”と言う。

“毎朝、黄色スイカを沢山食べてるからだろう。”と言ったら、”冗談言わないで、帰国したら病院に行って。”と言われて承知した。

10月16日(水)に帰国して、17日(金)午後、近所の掛かり付けの医者を訪ねた。

顔を見るなり先生が叫んだ、”重症の黄疸です!直ぐにみなと赤十字病院に行って下さい。”と言われて,驚いてみなと赤十字病院に行くと、先生が診断する前に看護婦から、”あらー、直ぐ入院です。お連れの方、居ますか?”と叫ばれた。

“1人で来ました。”と言ったら、呆れられた。

直ぐに血液検査を受け、点滴をして貰ったら落ち着いたらしい。

先生から、”危うく命を落とすところでしたが、もう大丈夫でしょう。今から精密検査をするので、入院して頂きます。”と言われたのだが、”あのー、今晩東京で食事の約束が有るので、入院は月曜日からで良いでしょうか?”と訊いたら、何れにせよ精密検査の結果を見ないと黄疸を引き起こした原因が分からないらしく、月曜日からの入院を許された。

10月21日(月),検査入院し3日で退院を許されたが、翌日の10月24日(木)に先生から家内を連れて来る様に言われて、嫌な予感がした。

先生が、”検査の結果、肝門部領域胆道癌のステージ4.で、癌が胆道を圧迫して胆汁が血液に流れ込み、黄疸を引き起こしました。

今から再入院して頂いて、胆道にステントを入れて胆汁の流れを良くしましょう。

それと癌が他の内臓やリンパ節に転移している可能性が有るので、細胞を取り出して精密検査をします。”と言われた。

自分は”ああ,そうか、癌か?”としか感じなかったが、カミさんはステージ4.の癌と聞いて、相当なショックだったらしい。

先生からは,他の病院でセカンド•オピニオンを聞く様に勧められた。

即入院して、香港在住の大親友に何が起きたかを報告したらカミさん以上にビックリして,心配してくれた。

そして筆者とも面識の有るお医者様と相談して、胆道癌の権威であるC.先生を紹介して頂くことになったのだが、C.先生の病院は千葉に在るらしく、横浜から遠い。

そこでC.先生が、此方も大変ご高名な胆道癌の権威である横浜市立大学附属病院のE.先生をご紹介して頂くことになって10月31日(木)に初めてお目に掛かった。

その間,自分でネットで肝門部領域胆道癌ステージ4.の事を調べたら、相当深刻な病でしかも年齢77歳ときたら、もうこれは絶望的的であることを知った。

別にショックでも何でもなかった。

しゃあないな。

E.先生にお目に掛かったが、1時間も掛けて癌の事を説明して頂き、”幸いにも他の内臓には転移していませんが、幾つかのリンパ節が癌に犯されています。今の時点では手術が出来るか分かりませんが、半年間抗癌剤を投与をして経過を見ると言うのは如何でしょうか?”と優しく言われた。

如何も何も無い、実はこの時点で自分では”ステージ4.の癌ならもうダメだな。”と感じていたので、”全て先生のご判断にお任せします。実は自分ではもう覚悟をしておりますので、何でもお受けします。但し、痛いのは勘弁して下さい。”と言ったら、E.先生はニコリとされ、”分かりました。癌はストレスが大敵です。まあ,好きな様に過ごして下さい。やりたい事をやり、行きたい所に行き、お酒も程々なら大丈夫ですよ。”と仰った。

わー、嬉しい。

早速、”実は11月6日~8日に出雲に、11月14日~18日に香港•マカオに行く予定が有るのですが、大丈夫でしょうか?”と聞いたら、”ああ、大丈夫ですよ。但し来週から始める抗癌剤の副作用には気を付けて下さいね。”と言われた。

カミさんは旅に出る事を許された事を信じなかったが、本当の話である。

11月12日(火)に初めての抗癌剤投与の点滴を受けたが、何の副作用も無く14日(木)に香港に旅立ったが、何も起きなかった。

香港の友人が大歓待をしてくれ、ドンペリと共に,美味しい中華料理を頂いた。

11月15日(金)にマカオに向けてリムジンに乗って出発しようとしたら、それ迄何でも無かったのに突然腹痛が襲い、立てなくなった。

副作用が突然始まったのだ。

友人が心配して、”大丈夫ですか、出発を遅らせますか?”と聞いてくれたが、”大丈夫,大丈夫。”と言い張って香港を発った。

マカオまでは中国が作った、海を渡る長い橋を通って行くのだが、リムジンの中で息も絶え絶えとなり、腹痛とも相まって、本当に死ぬかと思った。

実はその友人が自分よりも心配してくれて、日本からの付き添いと車椅子を用意してくれていて、本当に世話になった。

友人はヘリコプターを呼んで、香港に送り返そうかと思案したと後から聞いた。

無事にマカオに着いたが、腹痛と下痢(抗癌剤の副作用。幸いにも吐き気は無かった。)が酷くて、毎日リンゴと炭酸水だけで過ごした。

帰る日にはすっかり元気になり、副作用とは妙な物だと思った。

その後は2週間度に抗癌剤の点滴を受けながら、E.先生のお言い付け(?)通りに、香港、シンガポールなどを遊びまくって過ごしたが、矢張り段々と副作用が効いてきて、脱毛、脱力感、味覚障害が酷くなってきたが,幸いにも1番辛いと言われている吐き気に悩まさられる事は無かった。

普段の生活を続けていた4月頃に定期的に診て頂いていたE.先生がニコニコしながら、”酒匂さん、抗癌剤が物凄く効いているみたいです。数値が劇的に良くなってきました。もしかしたら5月頃に手術が出来るかも知れません。”と仰る。

ん?5月?

1年前に決めて、飛行機の手配も終えている、アメリカ•ペブルビーチでのゴルフが有るではないか?

恐る恐るその事を言ったら、”良いですねえ、やりたい事をやるのが1番!行ってらっしゃい。手術は7月頃で良いでしょう。”と仰った。

本当に良い先生だ!

そしていよいよ7月7日の手術の時が来た。

前もってE.先生から、”癌本体、肝臓の半分以上、幾つかのリンパ節、そして場合によっては膵臓摘出の大手術となります。恐らく手術は14時間から18時間掛かると思いますが、私が執刀しますのでお任せ下さい。”と言われて、全く懸念とか怖さとかは無く、”どうにでもなれ。”と言う感じだった。

7月1日(火)に入院して、その日を待った。

7月7日(月)午前8時半に手術着に着替えて病室から手術室に移されて午前9時に麻酔を受けて、手術が始まった。(らしい。)

勿論,その後は全く記憶が無く、その後お世話になる事になるS.先生に起こされたら,手術室ではないHCU.(High Care Unit=高度治療室)の一室に居た。

部屋を見回すと、時計と諸々の機械しか無くて、偉い殺風景だった。

意識は極めて明瞭で、痛みも全く無い。

時計を見ると3時を示しており、7日(月)の午後3時だと思ってS.先生に、”あれ,手術は6時間で終わったんですね。”と余計な事を言ったら、”今は、火曜日の午前3時です。”と言われてたまげた。

矢張り、18時間も掛かったんだ!

ふと見ると身体の右側に4本、左側に1本の管が付いている。

そして左側の管には大きな点滴が繋がっていて、何だか知らないがポタポタと液体が身体に入って行く。

腹には腹帯が巻いてあり、どうなっているかは分からないが、どうやら腹を掻っ捌かれたらしい事は知っていた、何せ肝臓の半分と、もしかしたら膵臓を摘出したのだから。

幸いにも、膵臓摘出の必要は無かった。

不思議な事に痛みは無い。

実は背中にも穴が空いており,そこから痛み止めのモルヒネが随時身体に注入されているので、痛みを感じないのだ。

手元にスイッチが有り、痛みが酷い時はボタンを押すとチュッとモルヒネが注入されて痛みが緩和されるらしいのだが、モルヒネを入れると吐き気がするので、一度も使わなかった。

HCU.で1週間過ごしたが,まあ退屈なこと。

目に入るのは壁の時計と機械だけ。

数時間おきに看護師さんが来て、傷口の点検と点滴の世話をしてくれるのだが、その時の会話だけが楽しみだった。

手術後2日目くらいから歩けと言われて先ずは歩行器を使って20メートルくらい歩いたが、息は切れ、全然歩けない。

それから毎日距離を伸ばして、30メートル、50メートルと距離を伸ばして行ったが、孫の様な看護師のお嬢さんから”良く出来ました!”と褒められるのは、小っ恥ずかしかった。

HCU.では兎に角一日中寝たきりで天井を見る事しか無かったが、(勿論,スマホとかの電子機器は,持ち込み禁止。)仕方無くて生まれてからの事を色々思い出し、考えたが今となっては良い思い出だ。

そして悟った。

もう俺も78歳か。やる事はやったし、まあ好き放題の人生だったな。

何の悔いも無いな。

何となく嬉しくなった。

1週間後に7階の一般病棟の個室に入ったが、此処にはテレビも有り、又カミさんに持って来て貰ったPC.やスマホが使えるので,何の不自由も無いのだが、食事には参った。

味覚障害が続いており、何を食べても苦く感じるのだ。

苦い、だから美味しく感じない。

結局ひと月半の入院中、一度も病院食を食べなかった。

S.先生からは、”食べなきゃ治りませんよ。

退院出来ませんよ。”と叱られるのだが、食えないものは食えない…

若い綺麗な栄養士さんが心配して、何とか栄養剤を調達してくれるのだが、これらがまあ不味い!

結局、入院中は点滴で栄養剤を直接小腸に注入して貰って生き長らえた。

退院が近付いてもちっとも体重が増えず、S.先生から”このまでは退院出来ませんよ。”と散々脅かされたが、日々の体重測定の時にスリッパを履いたまま体重計に乗るとかの姑息な手段を使って、ようやく8月18日(月)に退院しても良いとのお許しを得たのだが、もう兎に角早く家に帰りたい。

そして家のシャワーを浴びて、自分のベッドて眠りたい。

拝み倒して17日(日)の午後に退院させて頂いたのだが、これは異例の事らしい。

日曜日の午後の退院なんて、考えられないらしいのだが、あの大手術の後と言う事と、実は病院長であるE.先生の患者と言う事で大目に見て頂いたのだ。

家に午後2時頃に帰り、久し振りに居間のカウチで寝そべっていると、孫達がお見舞いに来てくれたのだが、何だか様子がおかしい。

あれよあれよと言う間に熱が39度に達して手足がブルブル震え出した。

孫娘は、”じーじ、どうしたの?手が震えてるよ。”と笑っている。

カミさんは直ぐに病院に行こう,と言うがさっき我儘言って、日曜日だと言うのに退院したばかりだ。

“明日で良いよ。”と言ったら、一度言い出したら絶対に考えを変えない事を知っているカミさんはオロオロするばかりだったが、娘が有無を言わさずに受話器を取り、”先程退院した酒匂ですが、熱が39度を超えています。”と病院に通報した。

直ぐに来い,と言われてカミさんと娘を同道して3時間ぶり(?)に病院に着くとすかさず緊急室に入れられて検査を受けると、”急性胆道炎ですから、直ぐに入院して頂きます。”との御託宣。

“嫌です、もう入院はお断りします。タクシーで通います。”とゴネたが、そんな物は通用しない。

直ぐに入院用の病院着に着替えされた。

“分かりました,観念しますが、あの7404.号室をお願いします。”と頼んだが、”空いているかどうか分かりませんが、調べてみます。”と言う事だった。幸いにも日曜日に退院したので、部屋はそのままになっていて即その部屋に入る事が出来た。

病室に行く前にナース•ステーションの前を通るのだが(車椅子で…),看護師さん達が、”あら、もうカムバックですか?”と冷やかす。

“はい、此処が大好きなものですから。”と言ったら受けた。

結局五日間再入院して8月21日(木)に退院して、今日に至る。

8月21日からは在宅で、朝晩2回身体の右側の腹に突き刺さっている4本の管(ドレーン)から胆汁を四つのプラスチックのタンクに溜め、それを濾して今度は左側の腹に突き刺さっているドレーンを通して直接小腸に注入すると言う作業を凡そ2ヶ月続けた。

自分では出来ない。

カミさんがシブシブ(?)やってくれた。

この作業も面倒臭いが、右側に四六時中ぶら下げている四つのプラスチックのタンクが、まあウザイ。

外出する時はそれを娘が作ってくれた布製の袋に入れ、寝る時は点滴をする時に使う機械にぶら下げて、寝返りも打てない。

これが一番辛かったな。

9月24日~25日に掛けて富山に行く予定が有り、恐る恐る先生に尋ねた。

“今度富山に行く用事が有るんですが、このタンク、どうにかなりませんかね?”

E.先生が優しく、”富山は魚、お米、そしてお酒が美味しくて宜しいですよね。お酒も程々なら良いですよ。もし何か有ったら富山大学のこの先生に連絡して下さい、とお医者様までご紹介頂いた。

そしてS.先生に顛末を話して、二つのタンクを外して貰って富山に出掛けたが、まあ身軽で嬉しくて仕方なかった。

S.先生は慎重な方で、”えーっ、E.先生、お酒を飲んでも良いと仰ったんですか?肝臓を半分取ってるんですよ。”と、些かご不満の様であったが、此方は嬉しくて仕方ない。

その後2週間毎にS.先生に定期術後検診を、そして手術を執刀して頂いたE.先生には4週間に一度診て頂いているのだが、”手術は大成功で、その後も本当に驚く程順調に回復しています。”これからは癌の再発防止と延命の為に抗癌剤の再投与を始めましょう。”と仰り、10月17日(金)から今回は経口で抗癌剤投与を受けている。

半年続けるそうだ。

E.先生から今度の抗癌剤は良く効くのだが、副作用が酷いと思われます。

覚悟して下さいと言われたのが、あら不思議、益々毛は抜けているのだが、言われた吐き気、下痢、高熱、口内炎などの症状は全く無い。

先生方も不思議がっていらっしゃる。

E.先生に思い切って聞いてみた。

“先生、肝門部領域胆道癌ステージ4.の事、そして術後の色々な事を調べてみました。

手術をしなければ診断後5年以内の生存率は10%以下、そして手術をしても3年以内の生存率は同じく10%以下と理解しています。

端的にお伺い致しますが、私の場合はどうなんでしょうか?

覚悟は出来ているんです。”

E.先生は何時もの様にニコニコされながら仰った。

“手術は成功し、その後の経過も良好で、何よりも一番なのは酒匂さんが極めて楽天的でストレス•フリーでいらっしゃる。

断言は出来ませんが、15~20年は大丈夫ではないでしょうか?”

げっ。

あと15~20年も生きる生活設計はしてないぞ….

今度はそちらの方が心配になって来た。

長々と失礼しました。

まあ、今の自分の命は良き先生方に拾って頂いた様な物。

来年も面白,おかしく生きて行く積もりです。

引き続き宜しくお願い致します。

皆様方も、良い年をお迎え下さい。

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プロフィール

さこう・たかお
酒匂隆雄

酒匂・エフエックス・アドバイザリー代表
1970年に北海道大学を卒業後、国内外の主要銀行で為替ディーラーとして外国為替業務に従事。
その後1992年に、スイス・ユニオン銀行東京支店にファースト・バイス・プレジデントとして入行。
さらに1998年には、スイス銀行との合併に伴いUBS銀行となった同行の外国為替部長、東京支店長と歴任。
現在は、酒匂・エフエックス・アドバイザリーの代表、日本フォレックスクラブの名誉会員。
YouTubeチャンネル「酒匂塾長チャンネル」開設。

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