プラザ合意から40年。
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秋分の日である本日、9月23日はプラザ合意から丁度40年に当たる。
(米国時間では9月22日となる。)
プラザ合意とは、当時財政赤字と貿易赤字の二つの赤字の危機に瀕していたアメリカが、当時最大の貿易赤字相手国であった日本を含めた、ドイツ、イギリス,フランスを含めた先進5カ国(G5.)の蔵相•中央銀行総裁をニューヨークのプラザ•ホテルに集めて、為替市場でドルを主に対円と対ドイツ•マルクに対して介入で意図的に10-12%を目標に切り下げると言う初めての試みを行う事に合意した事を言う。
その頃,ドル円相場は240円近辺だったと記憶するが、あっという間にドル安が進み、100円をも切る円高となって為替相場の怖さを思い知らされた記憶が有る。
筆者はその頃大手の米系銀行で為替の責任者を務めていたが、何とその秋分の日で休日の9月23日(月曜日)にたった一人で銀行に出勤して日銀の指示の元,ドル売り介入を行った。
話すと長くなるのでまとめると、前日の日曜日の日経新聞に、“日,米、独、英、仏5カ国の蔵相・中央銀行総裁がニューヨークのプラザ・ホテルに集まって、何かを協議した模様。”との小さな記事が有り、ディーラーの本能で、“これは何か有るな。”と感じて、全く自主的に銀行に出掛けたのである。
日本の休日で東京外為市場がクローズしていても、オセアニア,香港、シンガポール市場は開いているのである。
介入を行う銀行は日銀から委託を受けるのだが、筆者が勤めていた銀行はその中でも数少ない外資系銀行だったが、日本の主だった銀行(都市銀行と呼ばれていた。)は介入を行っていた。
後から聞いた話によると日本の銀行は日銀から前日の日曜日に祝日ではあるものの、月曜日に介入の為の休日出勤を頼まれていたらしいが、筆者は全く自分の意思で出掛けた。
8時半頃銀行に着いて、日銀のボタン(日銀とは直通電話で繋がっており、ボタンを押すと話が出来るのだ。)を押すと、“あれ、休日なのにどうしたんですか?”と訊かれたので、“日経新聞の記事を見て,何か変だなと思って出て来た。”と言ったら、“流石です。ドル売り介入のお手伝いをして下さい。”と言われて、ドルを大量に売り始めたが、全然下がらない。
その頃は協調介入はおろか、G5.なんて概念など無かったから、市場は高を括っていたのである。
結局その日(東京時間18時頃)は何と1円くらい上げて終わったが、その数日後から5円、10円、20円と下がり出して,とうとう100円を切る大円高になってしまった。
あれから40年か?
歳を取る筈だわな。
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