蟹瀬誠一コラム「世界の風を感じて」 kanise

暗雲立ち込めるフィリピン

2022/05/26

「歴史は繰り返す」

そう言ったのは古代ギリシャの歴史家トゥキュディデスだが、あまりいい響きがない。今月9日に投開票が行われたフィリピンの大統領選挙はまさにそんな結果となった。

独裁者だった故マルコス大統領の長男、フェルディナンド・マルコスJr.上院議員(64)が他候補に大差をつけて次期大統領に選ばれたからだ。本人のあだ名は「ボンボン」で父親よりは気が弱そうだが、36年前に政治腐敗と残虐行為の果てに権力の座から国外追放されたマルコス一家が再び政権に蘇ったことに変わりはない。

しかし、なぜそんなことが可能だったのか。

理由はいくつかある。ひとつは,マルコスJr.がソーシャルネットワークを利用して偽情報をばらまき、過去の父親の残虐行為や自身の悪行を巧みに覆い隠したことだ。フィリピンではSNS情報が信じられやすく、暗黒のマルコス政権時代が「黄金時代」にすり替えられてしまった。

ふたつ目は、強権的だが民衆に人気のロドリゴ・ドゥテルテ現大統領の後ろ盾があったこと。マルコスJr.が副大統領に選んだのはドゥテルテの娘サラだった。さらには、反マルコス候補が9人も立候補して票が割れたことも彼に有利に働いた。

ではこの選挙結果はフィリピン国民に何をもたらすのか。一言でいえば、民主主義の衰退と腐敗した「マルコス王朝」の復活だろう。

私の知る限り、マルコスの名はそれほどおぞましい。振り返ってみよう。

1965年に大統領に就任したマルコスSr.任期終了で権力を失うことを恐れて72年に戒厳令を発令。議会を廃止し、国民の生命、自由、財産を保護する憲法も停止された。刃向かう者は軍や警察によって拷問され殺害される恐怖の時代の到来だった。被害者の数は1万人を超えた。

その頃、私はアテネオ・デ・マニラ大学に留学していて、その惨状を記憶している。人権は踏みにじられ多くの国民が貧困に喘いでいたが、マルコス一家だけは贅沢三昧だった。イメルダ夫人が3000足以上の高級靴を所有していたのは有名だ。数千億円から1兆円規模の不正蓄財が明らかになっている。

だが、マルコス「王朝」崩壊のきっかけとなる事件が起きた。83年夏のことである。国民に人気のあった野党リーダーのベニグノ・アキノが亡命先の米国から帰国したマニラ空港で兵士に射殺されたのだ。今でもはっきり覚えている。

国民の怒りが燃え上がり、100万人を超える民衆が「ピープルパワー」を叫んで抗議運動を展開。慌てたマルコス一家は米軍機でハワイに逃亡し、20年にわたるマルコス「王朝」は崩壊した。その際に巨額の貴金属と現金を持ち出したことが分かっている。

89年にマルコスSr.が死去すると家族の帰国が許され、マルコスJr.は海外口座に蓄財した資産とコネを使って政界に返り咲いた。そして父親と同じ大統領の座を射止めたのである。姉のアイミーは上院議員に当選。母のイメルダは脱税と贈収賄容疑で逮捕されたが無罪となり、92年の大統領選に出馬。敗れたのちに下院議員になった。恐るべきファミリーである。

フィリピン国民は概して無頼の強いリーダーを求める傾向がある。1998年に大統領に選ばれた元アクション俳優のジョセフ・エストラーダやドゥテルテ現大統領などがそのいい例だ。

今回の選挙結果を受けて、学生を中心とする約400人が不正選挙だと訴えてマニラの選挙管理委員会の建物前で抗議活動を行なったが、焼け石に水だろう。

2019年に公開されたドキュメンタリー「The Kingmaker」の中で帰国に関してマルコスJr.は次のように語っていた。

「僕はエコノミークラスで帰らない。だっていつもファーストクラスでしか飛んでなかったから」

暗黒の歴史が繰り返される悪い予感がする。

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プロフィール

かにせ・せいいち
蟹瀬誠一

国際ジャーナリスト
明治大学名誉教授
外交政策センター理事
(株)アバージェンス取締役
(株)ケイアソシエイツ副社長
SBI大学院大学学長

1950年石川県生まれ。上智大学文学部新聞学科卒業後、米AP通信社記者、仏AFP通信社記者、米TIME誌特派員を経て、91年にTBS『報道特集』キャスターとして日本のテレビ報道界に転身。東欧、ベトナム、ロシア情勢など海外ニュース中心に取材・リポート。国際政治・経済・文化に詳しい。 現在は『賢者の選択FUSION』(サンテレビ、BS-12)メインキャスター、『ニュースオプエド』編集主幹。カンボジアに小学校を建設するボランティア活動や環境NPO理事としても活躍。
2008年より2013年3月まで明治大学国際日本学部長。
2023年5月、SBI大学院大学学長に就任。
趣味は、読書、美術鑑賞、ゴルフ、テニス、スキューバ・ダイビングなど。

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