仕事も蓄えもなく生きる術を失った者はたいてい盗みに走る。罰を重くしたところで盗みは減らない。それならばすべての人々に最低限必要な定収を与えればよいのではないか。英国の思想家トマス・モアは1516年に発表した『ユートピア』の中でそう書いた。人々が自由平等そして平和に暮らす理想郷を描いた作品だ。
そのユートピア思想が五世紀の時を経て現代に蘇りつつある。資本主義の暴走とテクノロジーの進歩があいまって、世界中で金持ちはさらに金持ちになり、貧乏人はさらに貧しくなる所得格差が世界的に危機的レベルまで広がっているからだ。
富裕層上位1%が国民総所得の3割以上を占めているのは許せないという怒りが爆発したのが数年前に世界的なニュースのもなった「ウォール街を占拠せよ」デモ。ご記憶の方もおおいだろう。しかし、米国は平等を愛する一方で金儲けに血眼になるというダブルスタンダードのお国柄である。
無一文でも努力すれば大金持ちになれるというのがアメリカン・ドリーム。格差などあって当たり前なのだ。それに、富裕層のほとんどは自助努力で社会に貢献し金持ちになった人々。大切なのは1%の金持ちを批判することではなく、残り99%の人々の所得水準を上げて将来に対する不安を減らす政策をとることだろう。
そこで注目を浴びているのがベーシック・インカムだ。基礎年金、雇用保険、生活保護などの既存の複雑な生活保障を廃止するかわりに、個人の口座に国から一定の金額が年齢、性別、収入などに関係なく無条件に毎月非課税で振り込まれるシンプルな制度だ。
例えば、毎月成人1人につき10万円、子供1人につき7万円だとすると、子供2人の夫婦には34万円が毎月給付されることになるのである。これなら路頭に迷う心配がない。
そんなことをしたら誰も働かなくなるのではという批判の声があるが、様々な調査結果によれば、ベーシック・インカムが導入されても人々はより良い生活を求めて就労し税金を払うという。この制度のメリットは、失業の不安なく自由な働き方を選べる、行政手続きの簡素化、労働市場の効率性向上、透明性向上などだ。
今年6月にスイスで行われた国民投票でベーシック・インカム導入は否決されたが、国民投票を実施するまでに関心が高まっていることに注目したい。フィンランド、オランダ、カナダなどではすでに実証実験を含む研究が進んでいる。
導入までの主なハードルは3つある。それは財源、労働意欲、経済競争力の問題だ。
ひとつ目の財源は、行政コストの大幅な減少と税制改革で賄うことができる。例えば累進課税で現在最高45%となっている所得税率を一律45%にしてはどうか。
すでに高い税率を支払っている高所得層にとってはほとんど影響がない一方で、低所得者層にとってはベーシック・インカムによる収入が増税分を上回るからお得感がある。何よりも安定収入が保証されているのだから将来に対する不安が激減する。仕事が無くなる役人は反対するだろうが。
2つ目の労働意識の問題とは、働かなくても最低限のお金を貰えるようになると人々が働かなくなってしまうのではという危惧だ。そういう人も少しはいるだろうが、ほとんどの人はより豊かな生活を求めて働き続け納税するだろう。
1974年~79年の5年間カナダのマニトバ州ドーファンで行われた実証実験では、全体の就労時間は以前より多少短くなったがそれは金銭的な束縛から解放された人々が子育てや勉学に集中するようになったからだという。貧困は目に見えて減少したそうだ。
政権交代によって実験が中止されたのは残念としか言いようがない。スイス政府が国民投票前に行ったアンケート調査でも仕事を辞めると答えたのは全体のわずか8%だった。
3つ目の経済的競争力が失われるかどうかだが、人々が将来の生活に不安なく自分の能力をフルに発揮できる仕事を求められるようになれば今よりクリエイティブな発想が生まれ実現されるかもしれない。
じつはもうひとつ21世紀的な問題がある。それはロボットに仕事を奪われた後の人々の生活である。恐ろしい話だがこれはすでに夢物語ではない。シリコンバレーの名だたる起業家たちがベーシック・インカム導入に賛成しているのも頷ける。
もちろんこうした大変革は一朝一夕には実現しない。段階を踏む必要があるだろう。すでに米国、英国を含むいくつかの国では就労を条件に給付を受けることが出来る制度が導入されている。「給付型税額控除」と呼ばれるもので、いわば部分的ベーシック・インカムだ。不毛な金持ち批判を続けるよりはこちらのほうが一考に値するだろう。
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