思わず主役のグレゴリー・ペックがやたら格好よかった『アラバマ物語』(1962年)を思い出した。人種偏見が根強い米国南部アラバマで白人女性を暴行したとの容疑をかけられた黒人青年を身の危険を顧みず弁護する熱血弁護士の物語だ。原作はベストセラー小説でピューリッツァー賞も受賞した"To Kill A Mockingbird"である。
そのアラバマで話題の上院補欠選挙が行われた。
本来なら共和党が圧倒的に強い州だから注目などされるはずのない選挙だったが、今回ばかりは様子が一変していた。選挙戦で元州最高裁判事で共和党候補ロイ・ムーア(70)のセクハラ疑惑が急浮上、トランプ政権の屋台骨を揺るがす一戦となったからだ。
なにしろムーアが副地方検事だった頃に性的な接触や暴行を受けたと告発する女性が次から次へとなんと7人も登場した。しかも被害当時はいずれも10代だったというから大ごとだ。毒舌で「ミニ・トランプ」として知られるムーア氏はトランプ大統領の常套句である「フェイク・ニュースだ」と否定したがそんなことでごまかしきれる訳がない。
折しも米国では、大物映画プロデューサーの女優などに対するセクハラ容疑をきっかけに、セクハラ告発の嵐が芸能界だけでなく政界、スポーツ界、マスコミ界で吹き荒れているさなかである。政界では、すでに共和・民主両党の複数の有力議員がセクハラ疑惑で辞任を表明している。男が権力を手にするとすぐこれだ。
そこでトランプは奇襲作戦に出た(と思われる)。選挙直前に「イスラエルの首都はエルサレムだ」と偽金髪を振り乱して宣言したのだ。アラバマは超保守の州だ。その州のユダヤ人や白人エバンジェリカルというゴリゴリの宗教右派を取り込めはセクハラスキャンダルを振り切れると踏んだのだろう。
もととも1995年に制定された「エルサレム大使館法」で米国大使館を現在のテルアビブからエルサレムに移転することは決定されている。ただ実際にこれをやると中東情勢が大揺れになるから歴代の大統領は6ヶ月ごとに移転を延期することでこれを回避してきた。
トランプの番になってちょうどその期限も迫ってきていたから「やってしまえ」という感じだったのだろう。駄目ならまた気が変わったといえばいいだけのことだ。
事前にパレスチナ自治政府には通告していたらしいからまったくのサプライズとはいえないが、それでも中東を中心に非難の嵐が巻き起こった。だがそんなことはお構いなしがトランプ流。なにしろ「アメリカ・ファースト」だから。
トランプは宣言が和平を促進する一歩になると主張。「(エルサレムが首都である)事実を認めることが、中東和平を達成する必要な条件」とも言った。
全くの的外れである。イスラエル・パレスチナ紛争解決が中東の和平をもたらすという考えはすでに過去のものだ。現在の地政学の焦点はイラン、イエメン、シリア、リビアそしてISISなどのテロ組織である。
隣国のエジプトやヨルダン、サウジアラビア、UAEなどとの関係が改善し、パレスチナ側が分裂・弱体化している今、イスラエルのネタニアフ首相が和平交渉を真剣に考えるはずがない。
さてアラバマ選挙結果だが、民主党候補の弁護士ダグ・ジョーンズ(63)が僅差ながらムーアを破った。25年ぶりの快挙である。これで上院の勢力は共和党51議席、民主党49議席。新議員が就任する来年以降の議会運営に大きな影響がでるのは火を見るより明らかだ。
トランプのアラバマ物語は失敗に終わった。もちろんご本人は自分の非は決して認めない。「じつは俺はムーアを支持していなかったんだ」と素知らぬ顔。そんなら応援演説に行くな!