
国内外の銀行で為替ディーラーとして活躍され、その華麗な取引手腕から「貴公子」と称された酒匂隆雄さん。為替ディーラーの第一人者の顔とは別に、レーシング、海外旅行、ワイン・グルメに温泉旅行と、様々な趣味をお持ちで、人生を楽しく過ごすことに関しても一流人です。
このコンテンツでは、楽しい話題や日々の生活、たまには為替マーケットについて語っていただきます。
此方に来て天候が優れず、毎日の様に雨が降っている。シンガポール特有の午後にさーっと来るスコールではなく、朝からしょぼしょぼ降っていてまるで日本の梅雨の様だ。そして赤道直下なのに涼しい。気温は25度くらいかな?
今朝もだんだん暗くなってきたと思ったらざーっと雨が降り、雷がゴロゴロ鳴り出した。まあ何処にも行かないのだから雨でも雷でも、何でも来い!
此処シンガポールでシャングリラ・ホテルのヴァレー・ウィングに滞在しているのだが、まあ痒い所に手が届く程良くしてくれる。世界中のホテルの中で最もサービスの良いホテルの一つだと思う。
シンガポールに来ると、何処かの携帯電話会社のコマーシャルに出ていたプールの在るあのホテルに泊まりたがる人が多いが、あそこは何千室もあって、おそらくシャングリラの様な細やかなサービスを求めるのは難しかろう。
さて先週JALの飛行場カウンターでの武勇伝をご披露したが、此処シンガポールでも幾つかあるのだ。


マリーナ・ベイに面している超一流ホテルでの凡そ15年前での出来事である。その頃は同じくマリーナ・ベイの東側に面している五つ星ホテルを定宿としていたのだが、この時は為替ディーラーの国際的親睦団体であるACIの会議がシンガポールで開催され、世界中から集まる約30人がこのホテルに泊まることになった。部屋を予約する時にチャンギ空港から180シンガポール・ドルを払ってリムジン・サービス(メルセデス・ベンツの大きい車)も頼んだ。
飛行機は何時ものJAL便で17時半に着く予定だったのだが、少し早く17時15分くらいに着いた。要領はよく知っているので真っ先にイミグレーションを出て「Mr. Sakoh.」とのカードを持っているホテルの運転手を探したが居ない。他の乗客も出てきて10分経ち、20分経っても運転手が見付からない。45分経った18時にとうとう痺れを切らしてインフォメーション・カウンターからホテルに電話すると、「運転手が待っていたが見付からなかったので今帰って来る途中です。引き返させましょうか?」と言う。
プッツン。
「待っていたなんて嘘だ!俺が17時15分に一番最初に出て来て何回も行ったり来たりして探したが、運転手は居なかった。恐らく17時半に着いて17時45分くらいに出て来るだろうとさばを読んだんだろう。許せない!いいか待ってろよ」と電話をがしゃんと切って普通のタクシーに乗って(たった35シンガポール・ドル)ホテルへ向かった。
ホテルに着くと玄関に3人マネージャーみたいなのが整列していて、「誠に申し訳ありませんでした。タクシー代は当方でお支払いします。」と余計な事を言いやがる。「そんな親切要らないよ。嘘を付きやがったことが絶対に許せない!」と大喧嘩した。(英語でです)
まあいいや。部屋に通されて窓を開けたらたまげた!当然マリーナ・ベイの綺麗な景色を期待していたのにコンクリートの壁しか見えない。再び、プッツン。
「何だこれは?何時も滞在する○○ホテルよりも高く取りやがってこれは無いだろう?30名も一緒に泊まるので団体扱いにでもしようとしてんのか?」
リムジン騒動で恐れをなしてゼネラル・マネージャーが一緒にくっついて来ていて筆者の剣幕にびっくりしてか、「ちょ、ちょっとお待ちください。部屋をスイートに替えさせて頂きます。」と言う。「又かよ。俺はそんな事を求めている訳ではないんだから遠慮するよ。」と言ったのだが、涙目(?)で頼んでくるので『しぶしぶ』受けてやった。そして最上階のスイートに通され、これは正しくマリーナ・ベイに面して素晴らしい部屋であった。シャンパンも付いていたぞ。
4泊5日の滞在が終わり清算しようとすると「当ホテルのご滞在は如何でしたか?」と聞くので、「うん良かったよ。」と言うと「また是非ともご宿泊下さい。」としゃあしゃあと言うので、「いやもう二度と泊まらないよ。」と正直に言うと俯いていた。だって本当の事だもの。筆者は決してクレーマーでも何でもなく、正直に物を言って行動するだけなのだけど、皆さんだったらどうします?
で、その後約10年は再びマリーナ・ベイの東側に面している定宿の五つ星ホテルに滞在する事になるのだが、此処でまたとんでもないことが起きるのだ。その顛末は来週の遊楽・三昧でご披露致しましょう。

酒匂隆雄 さこう・たかお
酒匂・エフエックス・アドバイザリー 代表
1970年に北海道大学を卒業後、国内外の主要銀行で為替ディーラーとして外国為替業務に従事。
その後1992年に、スイス・ユニオン銀行東京支店にファースト・バイス・プレジデントとして入行。
さらに1998年には、スイス銀行との合併に伴いUBS銀行となった同行の外国為替部長、東京支店長と歴任。
現在は、酒匂・エフエックス・アドバイザリーの代表、日本フォレックスクラブの名誉会員。
