
国内外の銀行で為替ディーラーとして活躍され、その華麗な取引手腕から「貴公子」と称された酒匂隆雄さん。為替ディーラーの第一人者の顔とは別に、レーシング、海外旅行、ワイン・グルメに温泉旅行と、様々な趣味をお持ちで、人生を楽しく過ごすことに関しても一流人です。
このコンテンツでは、楽しい話題や日々の生活、たまには為替マーケットについて語っていただきます。
先週月曜日の8月26日、ドル・円相場が1月3日に起きたフラッシュ・クラッシュ=(直訳すると瞬間暴落。短時間の間に相場が急落する事。)の折に付けた年初来の最安値となる104.44迄下落した。
1月3日の場合は前年12月からの米国株式市場の軟調に伴ってドル・円相場が113円台から108円台へ下落する最中、東京市場がお正月休みで市場参加者が少なくて流動性が低い中で短期の投機筋によってもたらされた事故的なものであり、株価が回復すると徐々に値を戻し2ヶ月後の3月には今年の高値である112円台を見ることとなった。
さて、今回のドル・円相場の急激な下げの要因は何であろうか?
此れは言うもでもなく米中貿易戦争の更なる悪化を嫌気したリスク・オフの動きである。
リスク・オフとは投資家がリスクを取ることを止めて保有する既存の資産の売却に走るか、或いは新たな投資を止めてリスクを増やさないことである。
リスク・オフの動きが始まると安全通貨とみなされる円が買われる傾向が強い。
先週26日のドル・円相場の急落の要因としては米中間での関税報復合戦が始まったことである。
トランプ大統領は昨年7月から3弾に渡る対中国追加関税を一方的に通告し、さらに今年8月なってから再び第4弾の追加関税を9月から課すと発表すると中国はこれに対して報復関税を通告。
これに怒ったトランプ大統領が報復関税に対しての報復と言う、所謂報復合戦が始まったのである。
トランプ大統領の最後の報復通告が8月23日金曜日の市場がクローズした後であったこともあり、26日月曜日の東京市場が始まる前から株価、ドル・円相場共に大きく下げて始まるであろうとの思惑が有ったが、案の定ドル・円相場は金曜日の終値である105.39から窓を開けて104.79で始まり直ぐ安値である104.44まで急落した。
そして日経平均株価は一時500円を超える暴落となった。
いみじくも当日安値の104.44はフラッシュ・クラッシュが起きた1月3日と同じ安値である。
その後一時106.39まで値を戻してすわ1月3日の再来でこのままドル・相場は大きく戻すかと思われたが、その後は上値では輸出筋や機関投資家のヘッジ狙いの売りが入り、また下値では輸入筋や機関投資家の買いが入り、その後は106円前後の展開となっている。
はっきり言って今回の急落は1月3日のそれとはかなり異なる。
大きな理由は上述した様に今回の急落の最大要因は米中関係の更なる悪化によるものであるからである。
そしてこの米中の関係はこれから更に悪化する危険性が高い。
これまでトランプ大統領の横暴に対して割合大人しかった習近平政権が何故急に強硬策に出たのか?
以下は筆者の個人的な憶測であることをお断りしておく。
毎年の夏、中国高級避暑地である北戴河と言う所で約3週間、中国共産党歴代の総書記や、中国共産党中央政治局常務委員などが集まり、国の重要政策や人事について話し合う所謂北戴河会議が開催される。今年は7月下旬から8月14~15日くらいまで開催されたが出席者名、議題は全て非公表である。
漏れ聞くところによると、今年の会議では混乱が続く香港情勢やトランプ米政権との貿易交渉を巡る対処方針を重点的に話し合ったとみられる。
そして会議の中で習近平が共産党幹部や長老から相当その弱腰方針について責められ、結果として香港との国境に近い深圳に大規模な軍事警察を出動させ、デモ鎮圧の訓練を大々的に行うこととなった。
そして米国に対しては報復措置を行った。
習近平は共産党幹部や長老からの叱責に対して"抜き差しならぬ状態"となり、ついに強権発動となったのではなかろうか?
もしこの推測が正しければ米中問題は直ぐに解決する訳も無く、また香港情勢は悪化の一途をたどるのではなかろうか?
折しもデモの群衆に対して香港警察(本土からの警察も含まれると言うが。)が威嚇発砲したり、無差別で警棒で叩きのめしたりしているニュースが流れた。
トランプ大統領は"このまま香港情勢が悪化するようであれば米中対話の進展は有り得ない。"と脅し、中国は"これは中国の問題であり、内政干渉も甚だしい。"とやり返す。
また、トランプ政権が台湾にF16.戦闘機やM1A2エイブラムス戦車を売却することを決め、これに対して当然中国が猛反発した。
今や米中間の問題は貿易協議から貿易戦争、そして2巨大国の覇権争いへと発展した。
お互いに一歩も引けない状況に陥りつつある気がしてならない。
香港情勢も益々悪化の一途をたどり、もし万が一これが第二の天安門事件となる様なことになれば世界経済は益々混沌となる。
そしてリスク・オフの状態からは中々抜け出せないのではなかろうか?
もう一つ気掛かりな点が有る。
それは日米韓の軍事同盟崩壊の危機である。
韓国は我が国と締結していた日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)破棄を通告してきた。
米国は日韓関係悪化が経済面で留まるようであれば、ある程度静観する積りでいたと思われるが日米韓の軍事同盟が大きく脅かされるGSOMIAの破棄には強い不満を漏らした。
それに対して韓国は"米国も承知の上である。"と嘘を付き、またしても米国を怒らせて国務省や国防総省から相次いで批判と不満が表明されると、ハリー・ハリス在韓国全権大使を韓国外務省に呼び付けて報道陣の前で"GSOMIA破棄に関し、アメリカが繰り返し失望や懸念を表明することについて自制するように。"との異例の要求を行った。
要するに、韓国政府は前アメリカ太平洋軍司令官で軍人としてプライドの高い元海軍大将を韓国民が見守る中で晒し者にしたのである。
ハリス大使、いやハリス元海軍大将は怒った!
そして8月29日に予定されていた在郷軍人会の招請講演や対外経済政策研究院(KIEP)主催の行事出席を相次いでキャンセルした。
また2012年から韓国国防部が主催してきた"ソウル安保対話"=SDDには、14年を除き毎年米国防次官補もしくはそれに準ずる米軍関係者が出席してきており、今回も韓国国防部はシュライバー国防次官補の出席を強く要請したが、米国側は"日程上の理由"で参加は難しいと通知した。
何となくこちらでも報復合戦が始まった様な気がしてならない。
ムン・ジェイン政権が何を考えているのかは知る由も無いが日米韓軍事同盟から離れて、どうしてもOne Korea.=(一つの朝鮮)にしたいのか?
もしそうであれば確信犯的なしたたかさを感じる。
只一人高笑いをしているのは"ムン大統領は信頼出来ない。"とトランプ大統領に耳打ちした北朝鮮の金委員長であろうか?
いずれにせよ、日本と米国の対応に対するムン・ジェイン政権の読みの甘さには驚く程であるが、これは我が国とってもまた米国にとっても大きな地政学的リスクの増大と言えよう。
やはりドルは買えない。
とは言え、相場は相場。
買いたい人が多ければ相場は上がり、売りたい人が多ければ相場は下がる。
リスク・オフの状態が今暫く続くと思えば円高を見越して円を買っておけばいい。
ドル・円であればドルを売っておけばいい。
相場は一本調子では動かない。
下がると思っても既に売っている人が居れば利食いが入って相場は戻す。
下がると思っても買いたい人が多ければ相場は戻す。
頃合いを見計らっての"戻り売り"のスタンスがSafe bet.=(普通は"必ず当たる賭け"と訳されるが、筆者は"安全そうな賭け"と訳したい。)であると確信する。
無理をしないで身の丈に合ったやり方で参りましょう。

酒匂隆雄 さこう・たかお
酒匂・エフエックス・アドバイザリー 代表
1970年に北海道大学を卒業後、国内外の主要銀行で為替ディーラーとして外国為替業務に従事。
その後1992年に、スイス・ユニオン銀行東京支店にファースト・バイス・プレジデントとして入行。
さらに1998年には、スイス銀行との合併に伴いUBS銀行となった同行の外国為替部長、東京支店長と歴任。
現在は、酒匂・エフエックス・アドバイザリーの代表、日本フォレックスクラブの名誉会員。
