
国内外の銀行で為替ディーラーとして活躍され、その華麗な取引手腕から「貴公子」と称された酒匂隆雄さん。為替ディーラーの第一人者の顔とは別に、レーシング、海外旅行、ワイン・グルメに温泉旅行と、様々な趣味をお持ちで、人生を楽しく過ごすことに関しても一流人です。
このコンテンツでは、楽しい話題や日々の生活、たまには為替マーケットについて語っていただきます。
お暑う御座います。
ついこの前まで長雨とそれによるうすら寒さに文句を言っていたら、梅雨明けした途端の猛暑!
凄いですねえ。
天気予報が連日気温30度超えのレポートをしていたので、先週金曜日の午後どんなに凄いのか自分で測ってみた。
先ずは室内。
気温は25.9度、湿度54%で勿論何の問題も無い。
年寄りの筆者も安心して過ごせる温度だ。
(写真の埃はご愛敬。知らない間に埃って溜まるものなんだ....)
次は室外の日陰。
10分もすると気温31.7度、湿度は64%に上昇した。
(埃はちゃんと拭いた。)
そして気温計を庭の直射日光が当たるテーブルの上に置いてみた。
みるみる間に気温は42.2度となり、湿度は当然39%まで急落した。
42.2度と言うと通常体温よりも6度も高いではないか!
これではあっという間に日射病か熱中症になりますわな。
昔はこんなには暑くはなかったですよね。
筆者が小さい頃は家にクーラーなんて無かった。
部屋の窓を開け放って蚊帳を吊ってその中で3歳年上の兄と一緒に寝た。
暑くて寝られなかったと言う記憶は無い。
今でも蚊帳のあの独特の青臭い匂いを思い出す。
学校もクーラーなんて無かったぞ。
確か夏は暑くて勉強がはかどらないので夏休みがあるのだと聞いていた。
夏暑いのは当然なのである。
ただここ数年の暑さは異常だ。
冬寒いと"寒い、寒い。冬は嫌だ。"と文句を言い、夏暑いと"暑い、暑い。夏は嫌だ。"と勝手なものだがこの異常気象にはお手上げだ。
さて話は変わるが先週の木曜日から4日間に渡ってイギリス・ウォーバーン・ゴルフ・クラブで開催された5大ゴルフ・メジャー・トーナメントである全英女子オープンで日本の渋野日向子選手が優勝した。
日本人選手がメジャーで勝ったのは1977年に樋口久子選手が全米女子プロで優勝して以来、実に42年ぶりの快挙である。
何と渋野日向子選手は昨年プロテストに合格したルーキーで年は二十歳!
プレー中は何時もにこにことして、"スマイル・シンデレラ。"とのあだ名を付けられたらしい。
優勝後のインタビューをテレビで見たが本当ににこにこして可愛らしい。
約7千2百万円の優勝賞金を手にしてインタビュアーから、"賞金は何に使いますか?"と聞かれて、"えーっ、一体賞金は幾らなんですか?一生食べられる分のお菓子でも買います。"と屈託が無い。
これでまたファンが増えるんでしょうな。
プレーの最中に腹が減るとお菓子の様な物をほおばっていたが"タラタラしてんじゃねーよ。"と"よっちゃんイカ。"言うお菓子らしい。
"タラタラしてんじゃねーよ。"は"魚を固めた様な"ということらしいから鱈を使ってるのかな?
"よっちゃんイカ。"は文字通りイカだろう。
英国人のギャラリーから、"それ何を食べてるの?"と訊かれたが英語で何と言っていいか分からないから只にこっとしたら向こうもにこっとし返したと言う話は面白かった。
かってのゴルフ・プレーヤーとして渋野日向子選手に本当に大きな祝福を捧げたい。
未だ二十歳。
若いからだろうか、彼の攻め方は凄い。
12番ホールは253ヤードの短いパー4.グリーン手前に池が有り、殆どの選手がアイアンを使って池の手前にティーショットを打ち、第2打でピンを狙うと言うのが普通の攻め方だが、何と渋野日向子選手はドライバーを引き抜いてフル・スゥイング。ボールは池を超えてグリーンの右のラフに着地。
そこから寄せて2オン、1パットでナイス・バーディー。
この果敢な攻め方にギャラリーは大拍手を送っていた。
米国のリゼット・サラス選手と17アンダーで首位タイで迎えた18番の最終ホール。
ピンの上に2オンして難しい6~7メートルの下りのパットが残ったが、此処でも"壁にドン。"と強気に打って見事なバーディーで18アンダーとして優勝した。
あれが外れると恐らく1~2メートルはオーバーした筈で、その返しのパットを外せばボギーとなって優勝はおろか2位タイとなったのだが、"3パットしてもいいと思って強く打った。"とケロリと言ってのけた。
凄いですよね!
全英女子オープンに勝ってアメリカでプレーするシード権を与えられたらしいが、"私は日本では未だ下っ端。英語も話せないし、取り敢えず日本で頑張ります。"と言ったらしいが、頑張れ渋野日向子選手!
(話は変わるが筆者は来月、6月に全米オープン・ゴルフが開催されたペブルビーチ・ゴルフ・リンクスでプレーする。此処では何回かプレーしたことが有るがまあ難しい。せめて笑われない様なプレーをしないと同じ日本人として恥ずかしいな....)
頑張れ、酒匂選手!

酒匂隆雄 さこう・たかお
酒匂・エフエックス・アドバイザリー 代表
1970年に北海道大学を卒業後、国内外の主要銀行で為替ディーラーとして外国為替業務に従事。
その後1992年に、スイス・ユニオン銀行東京支店にファースト・バイス・プレジデントとして入行。
さらに1998年には、スイス銀行との合併に伴いUBS銀行となった同行の外国為替部長、東京支店長と歴任。
現在は、酒匂・エフエックス・アドバイザリーの代表、日本フォレックスクラブの名誉会員。
