
国内外の銀行で為替ディーラーとして活躍され、その華麗な取引手腕から「貴公子」と称された酒匂隆雄さん。為替ディーラーの第一人者の顔とは別に、レーシング、海外旅行、ワイン・グルメに温泉旅行と、様々な趣味をお持ちで、人生を楽しく過ごすことに関しても一流人です。
このコンテンツでは、楽しい話題や日々の生活、たまには為替マーケットについて語っていただきます。
先日所用(投資案件の視察)が有り、2泊3日の駆け足でマニラに出掛けた。
マニラには昨年2度出掛けたが一度目はオカダ・マニラでのカジノ三昧、二度目は観光地巡りで"フィリピンの実情"を見るチャンスは無かった。
今回は割合裕福ではない地区に行って小口のConsumer lending.=(個人向け融資)の現場や不動産物件を見て回ったり、最近俄かに脚光を浴びて来たグローバル企業のコール・センターなどを視察したがある意味自分のフィリピンに対する考えを変えるほど新鮮な旅となった。
小さな市場に出掛けて人々の活動を目にしたが皆生き生きと輝く様な目をして働いている。
決して裕福ではないのだろうが、そんなことは微塵も顔に出さずに一生懸命働いている。
聞くところによるとフィリピンの平均年収は50万円にも満たないと言われているが皆明るい。
平均年齢は2017年時点で24歳と言われており日本の約46歳の半分だ。
確かに余り老人は見掛けず、若い人達が多い。
マニラに本拠を置くADB.=(アジア開発銀行)によると2019年のフィリピンの経済成長率は6.4%で、余り信用のおけない(?)中国のそれを別にすると抜群に高い成長率を誇る。
このままの高成長が続くと2030年にはフィリピンのGDP.は現在の2倍、2050年には4倍以上に成ると言われており、正にGrowing country.=(成長する国)と言っても良かろう。
今回の視察で一番興味を持ったのはコール・センターであった。
現在多くのグローバル企業がインドのムンバイにコール・センターを置いている。
ところがオペレーターのインド訛りが酷くて、"分かり難い。"と言う苦情が増え出した。
それとインドでの人件費が高くなってきてインドからフィリピンにコール・センターを移すという企業が増えて来た。
フィリピンでは英語はタガログ語と並んで公用語の1つであり、9000万人の人が英語を話し、世界3位の英語人口の国という調査もある。
従って小さな島やド田舎は別にして殆どのフィリピン人が英語を話し、変な訛りは無い。
もしかして香港よりも英語が通じるのではないかと思うし、今回の短い滞在の間に英語が通じないという不便は只の一度も経験しなかった。
最終日に視察を行った拠点を空から見ようということになり、ヘリコプターを使ってマニラ上空を1時間余り飛び回ったが埋め立て地には高層ビルが立ち並び、地上で見るマニラ市街とは全く違う風景であった。
これらの高層ビルには上で述べたコールセンターやIT.関連の企業が列をなして入居を希望しているらしい。
今回はフィリピンのローカル・フードを食べるチャンスは無かったが、初日のイタリアン、二日目の中華料理は東京の有名レストランをも凌ぐクオリティーであった。
又機会が有ればフィリピンは是非とも訪ねたい国の一つであることを断言しておく。
実は今回も視察が終わった後懐かしい(?)オカダ・マニラに行って自分の運を試してみた。
実は意外に思われる方も多かろうが筆者はギャンブルは得意ではない。
昔、散々銀行の金でギャンブル、いや為替のトレーディングを行ってきたので自分の賭け事はせいぜい麻雀くらいで競馬も競輪もやったことは無い。(実は香港で競馬は何回かやったことは有るが、損はしないが儲けもしないという詰まらない賭け方しかしない。)
今回バカラと言うゲームをやったが結構ついて、一時元手の8倍まで増えて"しめた!"と思っていたら、筆者のつきを見て後ろから乗っかって来る中国人が増え出した。
これはバカラの遊び方の一つで、ついている人に乗っかって同じ賭けをすると言う物で、別にルール違反でもない。
で、こいつら筆者が勝つと餓鬼の様に喜び、負けると自分も負けるのでぶつぶつ言って甚だ迷惑である。
"何処かに行きやがれ!"と追い払う訳にも行かず、ディーラーと肩を竦めながら続けていると段々儲けが減りとうとう2倍にまで減ってしまった。
現金なものでその頃に成るとまるで背後霊の様だった中国人は消え失せ、静かになった。
もう頃合いと思ってそこで止めたが、まあ只で酒を飲んで2倍の儲けが出たのだからよしとしなくてはなるまいか。
仕事(視察)、レジャー(カジノ遊び)と、大変楽しいマニラ紀行でありました。
フィリピンと言うと治安の悪さを心配する向きも多かろうが、勿論変な所に行けば何処だって怖い。
東京だって怖い所は有る。
飛行機で約4時間。
シンガポールはちと遠い。
香港は物足りないという人は是非ともフィリピンを訪れることをお勧めします。

酒匂隆雄 さこう・たかお
酒匂・エフエックス・アドバイザリー 代表
1970年に北海道大学を卒業後、国内外の主要銀行で為替ディーラーとして外国為替業務に従事。
その後1992年に、スイス・ユニオン銀行東京支店にファースト・バイス・プレジデントとして入行。
さらに1998年には、スイス銀行との合併に伴いUBS銀行となった同行の外国為替部長、東京支店長と歴任。
現在は、酒匂・エフエックス・アドバイザリーの代表、日本フォレックスクラブの名誉会員。
