
国内外の銀行で為替ディーラーとして活躍され、その華麗な取引手腕から「貴公子」と称された酒匂隆雄さん。為替ディーラーの第一人者の顔とは別に、レーシング、海外旅行、ワイン・グルメに温泉旅行と、様々な趣味をお持ちで、人生を楽しく過ごすことに関しても一流人です。
このコンテンツでは、楽しい話題や日々の生活、たまには為替マーケットについて語っていただきます。
20年来、友人が経営するプロバイダーを使ってきたのだがここ数週間メールの調子が悪くなった。
特に送信メールがどうしようもなくて送りたいメールが送れず、仕方ないのでYahooメールを使っていたのだがどうも面倒臭い。
どうやら海外からのスパム攻撃にさらされたらしく、防御を色々試したが余り芳しくないと言う。
此方の仕事にも影響が有るのでプロバイダーを変えたい旨を伝えたら快く承諾してくれた。
そこで既に契約をしていたドコモ推薦のプロバイダーに変えたのだが、メールアドレスを変えなくてはならない。
でも仕方ない。
これ、大変ですな!
クレジット・カード関連が5件。
毎日利用している情報関連が10件。
海外の友人関係が10件。
そして国内の友人関係が約50件。
過去1年間の受信メールをチェックして全てに"ご面倒ですがメールアドレスを変えて下さい。とお願いする。
クレジット・カードや情報関連は折り返しメールが来て確認を迫られる。
日曜日の一日掛かりでやっと終えた。(と思うが、恐らく幾つか漏れているんだろうな?)
普段は便利さに慣れてしまって何気なく使っているが、メールが使えないと本当に大変な事を思い知らされた。
電子メールって何時頃からこんなに使われだしたんだろう?
携帯電話の普及の歴史に遡らなくてはならないかな?
現役の銀行員だった頃、車で通勤しており、銀行が自動車電話を付けてくれた。
1985年くらいだったかな?
その頃は携帯電話などは無く、その自動車電話も恐ろしく高かった。
設置料金が数十万円したし、通話料金も毎月数万円掛かった。
(銀行が払うのだから文句は無いが...)
余談だが、筆者が自動車電話を使って海外と話をしているシーンがNHK.特集で放映され(その頃は電話をしながらの運転は違法ではなかった。)それを機に自動車電話が爆発的に普及し始めて、NTT.から感謝の言葉を貰った。
その頃やっとファックスが流行りだし、海外とのコミュニケーションは電話とファックスになったが、電子メールは使っていなかった。
1990年代にはいってからかな?
秘書がパソコンを使って、海外とのコミュニケーションを電子メールでやり始めたが、何をやっているんだろうと思ったものだ。
秘書から"ご自分でやってみませんか?ご自宅でも使えて便利ですよ。"と言われたが、何となく恐ろしくて暫くはその電子メールなるものを使えなかった。
その内、ガラケーの携帯電話を銀行から支給されたが殆ど使わなかった、いや使えなかった。
今から考えると滑稽でもある。
その便利さが分かるにつれ電子メール(此処からは只のメールにしよう。)もお手の物になり、現在に至る。
今はメール無しでは生活出来ない様になってしまった。
以前、"貴方はメール派か、それとも電話派か?"とのテーマでこの遊楽・三昧を書いたことがあるが、筆者は完璧なメール派で電話は嫌いである。
電話は一方的に掛かってきて、一方的に他人の時間を束縛する。
メールだと不要なものは無視し、必要なものだけに返信すればいいではないか?
時々証券会社や、墓地の勧誘の電話が掛かってくるが腹が立って仕方ない。
そうだ、最近流行りのアポ電詐欺だって電話に出なければ防げるぞ。
又何時もの様に脱線してしまったが便利になればなるほどそれが無いと凄く不便になり、その仕様を変えようとすると大事(おおごと)になってしまう。
文句を言っているのではないのだが......
さあ、新しいメール・アドレスにどんどん着信しているぞ!

酒匂隆雄 さこう・たかお
酒匂・エフエックス・アドバイザリー 代表
1970年に北海道大学を卒業後、国内外の主要銀行で為替ディーラーとして外国為替業務に従事。
その後1992年に、スイス・ユニオン銀行東京支店にファースト・バイス・プレジデントとして入行。
さらに1998年には、スイス銀行との合併に伴いUBS銀行となった同行の外国為替部長、東京支店長と歴任。
現在は、酒匂・エフエックス・アドバイザリーの代表、日本フォレックスクラブの名誉会員。
