
国内外の銀行で為替ディーラーとして活躍され、その華麗な取引手腕から「貴公子」と称された酒匂隆雄さん。為替ディーラーの第一人者の顔とは別に、レーシング、海外旅行、ワイン・グルメに温泉旅行と、様々な趣味をお持ちで、人生を楽しく過ごすことに関しても一流人です。
このコンテンツでは、楽しい話題や日々の生活、たまには為替マーケットについて語っていただきます。
お若い方々はご存じなかろうが、1960年代に一世を風靡したVenturesと言うアメリカ人グループのエレキバンド(エレキバンドそのものが古臭い言い方だな。ヴォーカルが無く、演奏だけするバンドの事)が在り『Slaughter on 10th Avenue』(10番街の殺人)と言う曲があった。
Slaughterは殺人よりもどちらかと言うと虐殺に近い意味がある。
三が日が明け切らない1月3日の早朝に東京外為市場で大虐殺が起きた。東京外為市場は1月4日から開くことになっているのだが、世界の外為市場は1月2日から開いている。
前日の2日からドルは12月末からの株価の下落につられてじり安となり、110円の大台を割って109円台で推移し、2日のニューヨーク市場の終値(ニューヨーク時間午後5時。日本時間午前7時)は108.88であった。
1月2日(ニューヨーク時間)、ニューヨーク株式市場が終了した後にアップル社が売り上げの下方修正を行って先物市場で株価が大幅に下落を始め、それがリスクオフ(投資家がリスクを取らない、或いは保有する資産を処分してリスクから逃避する事)となってドルの急落の引き金となった。
午前7時過ぎからものの5分も経たないうちにドル円相場は108円台から104.44まで暴落し、Flash Crash(瞬間に価格が暴落する事)となった。
(ドル・円相場の3日午前5時から9時までの5分足ローソク足チャート)
日経Quick社によると1月2日時点で個人投資家は割合大きなドルの買い持ちポジションを保有していた。
差引154,695となっているが、これは外為取扱業者大手8社の顧客が保有するドル・円ポジションが買い36億6千314万ドル、売りが21億1千619万ドル、ネット15億4千695万ドル(約15億5千万ドルとしよう。)の買い持ちだったことを表している。
この大手8社は市場の凡そ60~70%のシェアーを持っていると言われており、逆算すると市場全体で凡そ24億ドルの買い持ちポジションが存在していたことになる。
単純計算で108.50から104.50まで下がった段階で4円×24億ドル=96億円の損失が生じたことに成る。
そしてこの円の急騰はドル・円だけではなく、ユーロ・円、ポンド・円、豪ドル・円などのその他通貨にも当て嵌まり、市場全体では瞬間的に200億円くらいの損失が生じたのではなかろうか?
幸いにも翌金曜日には強い12月の米国雇用時計の発表に助けられて株値が大きく戻し、それにつられてドル・円も108台のミドルまで戻して『行って来い。』の展開となったが、肝を潰した投資家が多かったであろう。
正に『Slaughter on Jan 3rd』(1月3日の大虐殺)となった感がある。
昨年のドル・円相場は高値114.54、安値104.62の値幅9円92銭に留まり、多くの投資家(投機家?)が「ドル・円は動かないから面白くない。」と嘆いたが、何と先々週の12月3日の高値113.81から先週安値104.44までの値幅は9円37銭で去年の値幅の9円92銭の殆どをたった1週間でこなしたことに成る。
波乱の幕開けとなった今年の為替市場であるが、この様なFlash Crash或いは逆の突然の暴騰を避けるのは極めて難しく、唯一の方法はやはりきちんと損切りを入れておくことであろうか?
アメジスト香港さんのセミナーでも再三に渡って申し上げたが、例えばロングであれば(通貨を買い持ちにしている。)あるレベルまで価格が下落したら損切りをして逃げる。
逆にショートであれば(通貨を売り持ちにしている。)あるレベルまで価格が上昇したら損切りをして逃げる。
損切りをして直ぐに価格が戻って『あーあ、放っておけば良かったのに』と思う事があるが、損切りで生じた損失は保険料の様なもの。これをケチっていると思わぬ大きな損失を被ることが多々ある。
昔から偉大なトレーダーは損切りが速いと言われている。
為替取引とは相場は上がるか下がるかのどちらかにベットして売買するので、まあ言ってみれば確率は半々。
その確率を高くするためにファンダメンタルズ、テクニカル、需給分析などを行うのだ。
今年の為替相場は波乱の幕開けとなったが、なーに今年は未だあと360日近くある。
チャンスを物にして頑張りましょう!

酒匂隆雄 さこう・たかお
酒匂・エフエックス・アドバイザリー 代表
1970年に北海道大学を卒業後、国内外の主要銀行で為替ディーラーとして外国為替業務に従事。
その後1992年に、スイス・ユニオン銀行東京支店にファースト・バイス・プレジデントとして入行。
さらに1998年には、スイス銀行との合併に伴いUBS銀行となった同行の外国為替部長、東京支店長と歴任。
現在は、酒匂・エフエックス・アドバイザリーの代表、日本フォレックスクラブの名誉会員。
