
国内外の銀行で為替ディーラーとして活躍され、その華麗な取引手腕から「貴公子」と称された酒匂隆雄さん。為替ディーラーの第一人者の顔とは別に、レーシング、海外旅行、ワイン・グルメに温泉旅行と、様々な趣味をお持ちで、人生を楽しく過ごすことに関しても一流人です。
このコンテンツでは、楽しい話題や日々の生活、たまには為替マーケットについて語っていただきます。
1年間続いたNHKの大河ドラマ『せごどん』が先の日曜日に終了した。
せごどんとは鹿児島の英雄、西郷隆盛の『西郷どん』の俗称で鹿児島では普通に使われている。
筆者の両親は鹿児島出身でいわばルーツは鹿児島に在り、今でも本籍は鹿児島に残してある。
実は先週母親の20年祭(没後20年を祭る集まり。)と父親の28年祭(本当は2年後に30年祭を行うべきなのだが揖宿神社(地名は指宿=いぶすきなのだが、どういう訳かこの漢字を使う。)の神主さんが「ご両親のお祭りを一緒にやりましょう。」と提言してくれた。)を行う為に帰薩(鹿児島に帰る。)した。
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仏教では1周忌、7回忌、13回忌とか言って忌(忌まわしい。)と言う漢字を使うが神道では祭(お祭り)と言って没後1年、3年、5年、10年、それ以降は各10年ごとにお祭りをして個人を敬うのである。
揖宿神社の歴史は古く凡そ1300年前の706年が創始と聞く。
wikipedia参照:揖宿神社
神主さんに神道では何故お祭りと呼ぶのかと聞いてみたら神道には経典や具体的な教えは無く、神社に神様をお招きし、その場所にお鎮まりいただいた神様へのご奉仕をすることがお祭りなんだそうだ。別にどんちゃん騒ぎをするお祭りでない。
神道のお祭りに参加された方がいらっしゃるかどうか分からないが、非常に厳粛で厳か(おごそか)である。祭壇の扉を開いて神様を呼び出す時に神主さんが「ほーっ。」と低い声を出すが、今は立派になった我が息子が小さい頃はあの声を大層怖がっていた。
さて話が逸れたがせごどんは官軍に立ち向かって西南戦争を起こし、明治政府から逆賊とまで呼ばれていたのにどうしてあんなに人気があるのだろうかと思った。
せごどんは陸軍大臣になってもちっとも偉ぶらず、部下にもまた一般の人々にも大変優しい人で大層慕われたと聞く。
『敬天愛人』はせごどんが愛した座右の銘であるが、天を敬い人を愛すると言う意味らしい。せごどんが大久保利通と対立し明治政府から去った時は何と500名近い数の部下がせごどんの後を追って政府の公僕を辞したというから凄い。最近話題になる『パワハラ』で訴えられるあほな上司達はせごどんの真逆なんでしょうな。
言い換えればこう言う嫌な上司は『敬天愛人』の逆で、『天を敬わず、己ばかりを大事にして、他人のことはどうでもいい。』と言うことか?そうはなりたくないもんだ・・・。
今回も少し寂しく思ったのは子供たちを含め、多くの人たちがちっとも鹿児島弁を話さないことである。
昔小さい頃に鹿児島に帰省した折は人々が話す言葉が全く理解出来なかった。それ程鹿児島弁(かごんまべん)は難解であった。やはりテレビやラジオの影響が大きいんだろうな?ローカルテレビ局でさえ標準語で話していますもんね。
どうだろう、1日1時間に限って『ローカル・アワー』と称して廃れる一方の方言語で話して伝統を守っていくと言うのは?
今回の帰薩は1泊2日の駆け足旅行であったが(其処で生まれ育ったのではないのだが)故郷は懐かしいものだ。問題は我々の子供たちや孫たちが鹿児島に対してどの様な意識を持っているかですね。
我々の両親は父親の退職後に自分たちが生まれて育った鹿児島に戻って余生を過ごし、墓も鹿児島に在るが我々は鹿児島に墓を作る気は無い。
となると子供たちは本籍は兎も角、鹿児島に対して大した感慨を抱く訳も無く、恐らく鹿児島に行くことも無いのだろう。
まあそれも良かろう。
『敬天愛人』の心でなるが如く振る舞い、子供たちが決めるであろうことを尊重していくことにしよう。

酒匂隆雄 さこう・たかお
酒匂・エフエックス・アドバイザリー 代表
1970年に北海道大学を卒業後、国内外の主要銀行で為替ディーラーとして外国為替業務に従事。
その後1992年に、スイス・ユニオン銀行東京支店にファースト・バイス・プレジデントとして入行。
さらに1998年には、スイス銀行との合併に伴いUBS銀行となった同行の外国為替部長、東京支店長と歴任。
現在は、酒匂・エフエックス・アドバイザリーの代表、日本フォレックスクラブの名誉会員。
