
国内外の銀行で為替ディーラーとして活躍され、その華麗な取引手腕から「貴公子」と称された酒匂隆雄さん。為替ディーラーの第一人者の顔とは別に、レーシング、海外旅行、ワイン・グルメに温泉旅行と、様々な趣味をお持ちで、人生を楽しく過ごすことに関しても一流人です。
このコンテンツでは、楽しい話題や日々の生活、たまには為替マーケットについて語っていただきます。
2月20日に書いた第127回目の遊楽三昧でマニラ紀行について書き、「もしかして4月に再び訪れる事になるかも知れない。」と述べたが、はい、再び今週の金曜日から来週の月曜日までマニラに行き、オカダ・マニラに滞在して到着二日目は市内観光、三日目はゴルフ、残りの時間はカジノに入り浸る事となった。
皆信じないのだが、実は前回のマニラ行きで初めてカジノに行ってギャンブルを楽しんだ。前回も述べたが筆者は現役の銀行員の頃、為替ディーラーとして毎日の仕事が銀行の金を使ってのギャンブルみたいなものだったので、プライベートでは麻雀以外のギャンブルをしたことは無かった。
前回、オカダ・マニラではバカラと言うゲームを楽しんだのだが、これは実に単純なゲームでプレイヤーが勝つか、バンカーが勝つかを予想するだけのゲームである。
細かいルールの説明は省くが、自分の座席の前に「プレイヤー」「バンカー」「引き分け」と書かれたエリアがあり、プレイヤー、バンカーのどちらが勝つか、或いは引き分けかを予想してそこにチップを置き、BET.した方が勝つか引き分けかを予想して引き分けとなれば配当を貰える。
全員のベットが終わったらプレイ開始となり、バンカー用に2枚、プレイヤー用に2枚カードが配られて、カードがめくられ、カードの合計数によっては、カードがもう1枚引かれて最終的にカードの合計が9に近いほうが勝ちとなる。プレーヤーのカードの合計が7でバンカーのカードの合計も7であれば引き分け。バンカーのカードの合計が8、9であればバンカーの勝ちとなり、バンカーに賭けていれば配当を貰える事になる。カードの合計が10を超えると10の位は無視し、11であれば1、12であれば2となる。
プレイヤーが勝つか、バンカーが勝つかを予想するだけの単純なゲームであるので、極端な話、ずっと片方に賭け続けていれば確率から言って五分五分となるので負ける事は無い。ただし儲ける事も無い。それではカジノに行く意味が無いから何方かに賭ける事になる。そして勝率を上げれば自ずから利益が上がる事になる。
どうやって勝率を上げるか?それは全く勘に頼るしかない。そもそも確率は五分五分なのでプレーヤーの次はバンカーなのか?プレーヤー、プレーヤーと2回続いたら次は確率的にバンカーだろう。プレーヤー、プレーヤー、プレーヤーと3回続いたが今度こそはバンカーに違いない。
色々考えますよね?
面白いことに(?)幾ら考えても仕方ない。勘に頼るしか無い。
プレーヤーの次はバンカー、次はプレーヤー、そして次はバンカーと言う様に単純な確率通りには行かないのが面白い。4回同じ目が出た後(何方かが4連勝した後)まさかと思っていると5回、6回と続く事もある。そうなった場合は一度様子見にした方が良い。そして反対の目が出た時にはそちらにBETすると勝てる確率が高い。
例えば、プレーヤー、プレーヤー、プレーヤー、プレーヤーと4回同じ目が出た後バンカーが出るとその次もバンカーとなる確率が高い。(と思う。)実はこれは為替相場でも同じ様な現象があり、「トレンドが変わったな。」と理解する。
実は前回初日は最初面白半分で確率は無視して、ある人が賭ける逆に賭け続けて酷い目に遭った。その人が負けて悔しがるのが面白くてそうしたのだが、その人は大変ついていて勝ち続け、その逆に賭け続けていた筆者は負けた。
2日目は一勝負に勝ったら次は多めに賭けて勝負したのだが、多めに賭けた時にやられ、少なめに賭けた時だけ勝つと言うちぐはぐな結果となり、初日の負けを引き摺ってしまった。
最終日は作戦を変え、やたらめったにBETしないで2回負けたら賭け金を減らしたり、3回負けたら1回様子を見ると言う風に戦法を変えたら勝ちだした。
そして結局はほとんどチャラで終わったのだが、カジノビギナーとしては上出来ではなかろうか?だってカジノって客が負ける事によって商売がなり立つんですもんね?あ、バカラは違ったか?バンカーに賭けて勝つと5%のてら銭を取られるのだがカジノはそれで儲けている訳だ。その理由は札の引き方によってバンカーが勝つ確率が多少高いからである。理論的にはその確率は5%の筈である。
さてマニラで一旗揚げて来るとするか!(と気負って行くと、大概負ける事になっている・・・)
その結果は来週の遊楽三昧で!

酒匂隆雄 さこう・たかお
酒匂・エフエックス・アドバイザリー 代表
1970年に北海道大学を卒業後、国内外の主要銀行で為替ディーラーとして外国為替業務に従事。
その後1992年に、スイス・ユニオン銀行東京支店にファースト・バイス・プレジデントとして入行。
さらに1998年には、スイス銀行との合併に伴いUBS銀行となった同行の外国為替部長、東京支店長と歴任。
現在は、酒匂・エフエックス・アドバイザリーの代表、日本フォレックスクラブの名誉会員。
