
国内外の銀行で為替ディーラーとして活躍され、その華麗な取引手腕から「貴公子」と称された酒匂隆雄さん。為替ディーラーの第一人者の顔とは別に、レーシング、海外旅行、ワイン・グルメに温泉旅行と、様々な趣味をお持ちで、人生を楽しく過ごすことに関しても一流人です。
このコンテンツでは、楽しい話題や日々の生活、たまには為替マーケットについて語っていただきます。
筆者は飛行機に乗る時はJALにしか乗らない。
もうこれは20年以上も前に成るがJALの競合エアライン(A社としょう。あ、見え見えか?)と大喧嘩をして『タダ券を貰っても絶対に乗らない。』と決めたのである。
只、一度だけそのエアラインに乗った事が有る。それは未だその頃JALが高松市に乗り入れしていなかった約15年位前の話なのだが、高松市で講演をする事になった。講演の依頼主(S氏と呼ぼう。)は筆者が『絶対に』A社の飛行機には乗らないことをご存じで、「あのう、実はJALが乗り入れていないのでA社の飛行機で行って頂くことになります。」と小声で言う。
「えっ、嫌だ。俺は船で行く。」と冗談を言ったがS氏は笑っていなかった。
「えーっ、しょうがないなあ。まあいいや。」と言ったらS氏が続ける。
「あのう、高松市で一番良いと言われているホテルがAホテル(A社系列のホテル)でして、其処にお泊り頂きます。」と再び小声で言う。
「えっ、嫌だ。俺は野宿する。」と再び冗談を言ったらS氏は今回は笑った。
講演も上手く行き、食事も頂いて(不思議なことに何を食べたのか覚えていない)皆でホテルに戻り、最上階のバーになだれ込んだ。ワインリストを見ると一番高いワインが何とGAJAのBarbarescoで、値段が8千円とある。ん?これは安い。でもこれはおかしい。普通、GAJAのBarbarescoはバーで飲むと4~5万円はする。
まあいいや、試しに飲んでみよう。
若いお兄ちゃんが栓が抜かれたワインを持って来たのだが、それはイタリアワインではあるがGAJAのBarbarescoとは似ても似つかない代物。なーんだ、だから8千円なんだ。お兄ちゃんに言った、「これGAJAのBarbarescoじゃないじゃん。それと何で栓を抜いて来るんだよ。ワインってのは客の前で抜栓するものだろ?」と言ったら、「いえ、これはGAJAのBarbarescoです。それと栓は向こうで抜いて来るものだと思っていました。」と平然と言う。
ボトルを見せて「何処にGAJAのBarbarescoって書いてあるんだよ。違うだろ。いいからソムリエを呼んでおいで。」と言ったら「そう言えばGAJAのBarbarescoって書いてないですねえ。あ、ソムリエは今日は休みなんです。」と言う。
仕方ないのでそのGAJAのBarbaresco擬きを飲んだのだが結構行ける。あっという間に1本空けてもう1本持って来させ、今度は目の前で栓を抜かせた。栓の抜き方が下手糞だった。
気持ちよく飲んでいると隣のテーブルでおばさんが携帯電話で大声で話している。その大声が尋常一様ではなく話が(しかも詰まらない話)筒抜けである。テーブルには「携帯電話でのお話はご遠慮下さい。」と書いてあるではないか?お兄ちゃんを呼んで、「ここ携帯電話での話はしちゃあいけないんじゃないの?」と訊くと、「はあ、でもご常連様なんです。」と済まなさそうに言う。
さあ、俺の出番だ。
「でも迷惑してんだよ。止めろと言えよ。」と言うと渋々隣のテーブルに言ってこそこそ話している。
暫く静かになったが、会話を止めた訳ではなく声を落として話していたのだが、再び段々と声が大きくなってきた。
さあ、俺の出番だ。
再びお兄ちゃんを呼んで、「我慢ならない。俺が直接文句を言っても良いか?」と訊くと済まなさそうに「勿論結構です。」と言う。
つかつかととそのおばさんのテーブルに行って「煩いんだよ!ここで電話をしないでくれって書いてあんだろ!止めろよ。」と言うと椅子から転げ落ちそうなるほどびっくりしてそそくさと帰って行った。
バーに静寂が戻った。そして呆れて見ていたS氏に言った。
「次から次へと何なんだよ。だから俺はA社が嫌いなんだよ!」
S氏は「申し訳ありません。」と言ったが目が笑っていた。そして筆者も「冗談だからね。」と言って二人で大笑いした。
こう言う話をすると筆者は恐ろしいおじさんかと思われるかも知れないが、そんな事はありませんよ!普段は温厚な紳士ですよ。ただ、理不尽な事が大嫌いで直ぐに切れてしまう事があるだけです。
逸話と言うか、武勇伝は山ほど有るのでご興味のある方には何時でもご披露致します。
いいですか、良い子は真似をしてはいけませんよ。
いい年をしたおじさんも真似をしてはいけませんよ。

酒匂隆雄 さこう・たかお
酒匂・エフエックス・アドバイザリー 代表
1970年に北海道大学を卒業後、国内外の主要銀行で為替ディーラーとして外国為替業務に従事。
その後1992年に、スイス・ユニオン銀行東京支店にファースト・バイス・プレジデントとして入行。
さらに1998年には、スイス銀行との合併に伴いUBS銀行となった同行の外国為替部長、東京支店長と歴任。
現在は、酒匂・エフエックス・アドバイザリーの代表、日本フォレックスクラブの名誉会員。
