
山ちゃんキャラクターを作ったことです。最初のきっかけは、ある方との名刺交換でした。いただいた名刺にご自身の似顔絵が描かれていたんです。お饅頭屋さんの名刺だったんですが、山盛りの饅頭の前で胡坐をかいたご本人の似顔絵だったんです。これだと誰が見ても饅頭屋だとわかる。これを見た時に、これだ!と閃いたんですね。それですぐにこの似顔絵をかいた人を紹介してもらって作ってもらいました。それが今では馴染みになったあの山ちゃんキャラクターなんです。
せっかく自分の店をだすならとことん可愛がりたいじゃないですか。この山ちゃんキャラクターもみてください、鶏の足をしているんですよ!面白いでしょ。鳥男です(笑)。
最初は名刺に使うためだけに作ったのですが、あまりにもキャラクターが面白いと周りに言われるもんだから、看板に入れようという話になったんです。最初にキャラクターを看板に入れた店舗は、2フロア100坪で、立地条件が良くないところでした。周りに反対されながら立ち上げた場所だったので心配しましたが、山ちゃんキャラクターのついた大きいな看板をだしたところ、大繁盛したんですよ。
イラストの面白さ、インパクトにはすごい力があるんだとこの時感じましたね。それ以降全ての店舗の看板にこの山ちゃんキャラクター入りの看板にしています。「世界の山ちゃん・幻の手羽先、鶏男山ちゃんキャラクター」。この3本柱が今日まで大きな支えとなっています。
そのなかで、「世界の山ちゃん」に食べに行こうと選ばれることは本当に大きな意味があります。変な看板がでている、あのキャラクターが面白いと興味本位で来てくださるお客さんが一気に増えていきました。
終息したときの安堵感といったらなかったです。無事に新大久保店もオープンできましたし、その後関東では24店舗つくり成功することができました。この時ほど周りの人々のサポートに感謝したことはありません。どんなに窮地に立たされても、見捨てず支えてくださる方が大勢いました。この時の鳥インフルエンザ以降、海外の生産者たちもそれまで生だったのをスチームをかけて加工したものを輸出することにしました。あの時に支えてくれた人たちがいるからこそ、今があるんだと痛切に感じています。
海上自衛隊を出て、経営ノウハウのないなかで飲食業界への挑戦。
ネットなどが普及していなかった時代だったからこそ、知恵と閃きが功を奏し、今日の成功に繋がったとお話しされました。しかし、山本さんの口調は、様々な困難があったとは思えないほどユーモアにあふれ魅了されました。
後半ではついに海外に初進出した香港店の話や今後の展開についてじっくりと伺います。
後半の記事は こちら からご覧いただけます。
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