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鈴木正浩の究極の大家道「タンク満タンですか?」Vol.10 ~街の保険屋【ベストパートナーズ】の夢とは~
インタビュー収録日:2015年3月5日

皆さ~ん、タンク満タンですか?
今回、話を伺ったのは「高校野球の監督→質屋→保険代理店経営」という異色の経歴を持つ男、岩崎忠雄さんです。ベストパートナーズという会社は、4年前に3社合併で出来た保険代理店です。今回は岩崎さんに加え、共に保険ビジネスを展開してきた近藤由子さん、山田泰正さんにもご同席いただき、今後の夢などについて語っていただきました。

街の保険屋【ベストパートナーズ】の夢とは
鈴木
高校野球の監督をされていたということですが、野球は子供の頃からされていたのですか?
岩崎
18歳まで野球一色でした。今63歳なので、かれこれ45年も前の話です。当時、僕らの世代では、三沢高校の太田幸司選手が有名で、僕が通っていた早稲田高校も、甲子園出場を目指して頑張っていました。

NHKの取材も来て、ベスト4くらいはいくのではという評価もあったのですが、あっさり1回戦負けを喫し、そこから人生が狂いましたね~(笑)。とはいえ、早稲田高校で野球部の監督をやらせていただいたこともあって、その後も野球とつながった人生を歩んできましたね。
鈴木
でも、大学は早稲田ではなく国学院に入学されましたよね。
岩崎
学校の先生になりたかったのですよ。国学院って、先生とアナウンサー希望者が多い学校でしてね、私は高校野球の監督をやりたかったものですから、国学院に入学したわけです。

でも、1年生の教養課程で、先生になるためには絶対に取っておかなければならない科目を2つほど落としまして、結局のところアルバイトばかりやっていました。大学の授業料は全部、自分で出したのですよ。それで、国学院に通っていた時期に、早稲田高校の野球部監督も経験させてもらいました。
鈴木
国学院に通いながら、早稲田高校の野球部監督をやっていたのですか?
岩崎
早稲田高校の伝統で、かつては学生が監督をやるという決まりごとのようなものがあったのです。2、3年監督をやらせてもらいました。当時は西東京、東東京という分け方が無くて、東京の高校全177校の頂点を競うというものでした。
岩崎忠雄さん
鈴木
戦績はいかがでしたか。
岩崎
初年度は1回戦で敗退でした。
鈴木
でも、20歳前後の監督って、今では考えられませんね。
岩崎
稀に学生監督の学校もありますが。まあ、それだけ時間があったということですよ。
鈴木
監督業は大学時代で終わられたのですね。
岩崎
そうです。
鈴木
卒業後は?
岩崎
実家が質屋でしたから、質屋の「セキネ」というところで1年間修業をした後、下取りしたものを売るという商売をしました。まだカラーテレビに足が付いているような時代ですね。

17インチくらいのカラーテレビが、1台、6万円くらいでポンポン売れたので、大分儲かりました。そういう時代です。それを3年くらいやりましたね。
鈴木
岩崎さんが23歳くらいの話ですね。
岩崎
そうです。それからバブルが来て、ブランド品が一大ブームになり、ブランド品を下取りしてバーゲン価格で売るっていう仕事をしました。今はちょっと下火になってしまいましたが。
鈴木
家業の質屋さんは今も続けていらっしゃるのですか?
岩崎
店に出ているのは息子ですが、一応続けています。
鈴木正浩さん
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