

7月17日、東京六本木のグランドハイアット東京で、7人制ラグビーのチーム、サムライセブンを率いる吉田義人氏の後援会発足および披露パーティーが開かれました。また、同パーティーに先立ち、スポーツ紙などの記者を集めた取材が行われ、サムライセブン設立の経緯、今後の意気込みなどについて、吉田義人氏から説明が行われました。
以下、質問に対する吉田氏の答えをまとめたものです。
サムライセブンという7人制ラグビーのチームが発足して1年半が経過しました。1年半前、トライアウトで他競技の身体能力が高い選手を集めて発足したチームです。
当時は、ラグビーボールを持ったことがない選手もいたのですが、今では技量も相当程度、上がってきました。これまでも、多くの方々からサムライセブンを応援したいという声が上がっていたのは事実ですが、ずっと自分のポケットマネーで運営を続けてきました。
それを今回、吉田義人後援会という形でのご支援に甘えさせていただいたのは、チームの基盤がしっかりしてきて、そのなかで選手も育ってきたと判断したからです。
私はチームを発足、運営していくなかで、企業経営者や団体責任者の方に、「ラグビーを通じた人材育成」について説明をしてまいりました。
自分自身が、ラグビーというスポーツを通じて、競技のスキルを向上させただけでなく、人とのコミュニケーションやリーダーシップなど、さまざまなことを学ばせていただいたので、それを一人でも多くの人に伝えていきたいと考えています。
今回の後援会設立にあたって、7人制ラグビーのスペシャリストであるサムライセブンが本格的に立ち上がりました。2016年、リオデジャネイロで開かれるオリンピックでは、この7人制ラグビーが正式種目になりました。
その次は2020年の東京オリンピックです。それまでに、チームから代表選手を輩出できるように、力を入れてまいりたいと思います。

サムライセブンの選手、飯田将之は、俊足のアスリートで、これまで陸上競技選手として国体出場経験を持っているのですが、昨年はラグビーで東京都代表に選ばれ、長崎国体に出場してまいりました。今年も限りなく、東京都代表に選ばれる可能性が高いと感じています。このように、選手は本当に育ってきました。
リオデジャネイロ・オリンピックへの出場は、もちろん目指しています。選手は誰もが、自分のプレイを世界の人々に見てもらいたいと考えています。そして多くの人に感動を与え、最後に「ありがとう」という言葉を掛けてもらえれば、選手冥利に尽きるというものでしょう。
とはいえ、リオデジャネイロ・オリンピックは来年に迫っています。それまでに、我々のチームの選手がどれだけ評価されるかという問題はありますが、とにかく今は時間との闘いのなかで、頑張っていくしかないと考えています。
私は大学を卒業した後、百貨店で勤めながら、社会人ラグビーをやってまいりました。ラグビーだけでなく、社会人としても一所懸命、仕事に打ち込んできた結果、本当にいろいろな勉強をさせてもらいました。単にラグビーだけをやるのではなく、社会人としての務めも全うすることによって、モノの考え方ひとつにしてもバランスが取れるようになりました。
だから、私は選手たちに、ラグビーのスキルだけでなく、人から信頼される人物になれるための機会を、得てもらいたいと考えています。そのためにも、さまざまな会社の経営者に、ラグビーを通じた人材育成がいかに有益かをお話させていただき、選手をその会社の社員として雇用していただいております。現役のうちは選手として頑張ってもらうのは当然ですが、引退してからは、その会社でリーダーシップを発揮してもらい、その会社の発展に寄与してもらいたい。それが選手に対する願いです。
また、ラグビーについては今、野球やサッカーに人気という点では追い抜かれている感はあるのですが、ラグビーの魅力はラグビーボールに触ってもらって初めて分かる面があります。だから、一人でも多くの人に、ラグビーボールに慣れ親しんでもらえるようなことを、これから考えていきたいと思います。
7人制のスタートによって、「ひょっとしたら自分でも出来るんじゃないか」という人が増えていけば、ラグビーというスポーツが大きく広がっていく可能性が高まると思います。
ただ、広がるのを待っているだけではダメです。子供を集めたラグビー教室などを開催するなど、これからさまざまな機会を見つけて、一人でも多くの人にラグビーを楽しんでもらえるような仕掛けを作っていきたいと思います。

吉田義人 よしだ・よしひと
男子7人制ラグビーチーム「サムライセブン」監督
女子7人制ラグビーチーム「カ・ラ・ダ ファクトリー A.P. パイレーツ」監督
1969年生まれ。秋田県男鹿市出身。
秋田工業高校、明治大学で共に全国優勝を経験。19歳で7人制、15人制の日本代表入りし、最初の国際大会は7人制の「香港セブンズ」。卒業後は伊勢丹に入社。その後は世界選抜代表に3回選出されたり、ワールドカップ、ワールドカップセブンズに出場するなど、長く日本ラグビーの第一人者として活躍した。
引退後は、横河電機や母校・明治大学で指導者として活躍。2013年以降、男女7人制ラグビーチームの監督として、オリンピアンの育成、7人制ラグビーの魅力を広める伝道師として活動している。
男子7人制ラグビーチーム SAMURAI SEVEN 公式サイト
女子7人制ラグビーチーム カ・ラ・ダ ファクトリー A.P. パイレーツ 公式サイト
作家の小松成美さんの連載記事「一語一会」では、吉田氏に7人制ラグビーの魅力や、吉田氏ご自身のこれまでの歩みについてインタビューしております。
インタビュー記事はこちら
